「駒田蒸留所へようこそ」から、仕事のしんどさと日々の先にあるもの
昨夜、最近公開された「駒田蒸留所へようこそ」を映画館で観てきた。 いきなりの総論になるが、久しぶりに感化されるような、いい映画だったと思う。 最近、やることが多くてあまりの日々の煩雑さに、心が色んな感覚を遮断していたようだった。だって、普通に生活するにはそれはあまりに情報量が多すぎるから。
だから、何かを遮断していかなければ、次々と繰り出されるタスクたちの荒波を超えてゆくことは不可能だ。いや、まあ現時点でもこなせてはいないのだが。洗濯済みではあるが収納されるところまでは行きついていない洋服、後で家計簿に計上しようと取っておいたレシートの山、まだ立てていない休日の計画など、やるべきことは常に何かしら積まれている。そんな調子で、買っておいたライトノベルに手を付けることももうずっとできていない。
閑話休題。そんな日々ではあるが、「その先にあるもの」を思い出させてくれたのが「駒田蒸留所へようこそ」だった。日々の積み重ねというのは薄い紙を一枚一枚上に載せていく作業のようなものなんだろう。そういうことを思った。主人公は物語開始時はやる気のないニュースサイトの記者として描かれるが、私は彼に共感を感じずにはいられなかった。彼は「日々の先」が見えていない状態だった。それゆえ、目の前の課題の荒波をうまく乗りこなすことができていなかった。こういうのは、おそらくリズムを掴まなければいけないのだろう。そして、「何か」を追いかけて懸命に仕事に邁進できる周囲の人々を眺めては羨ましいなあとため息をつく。しかし、彼が他人に対して抱いているスキーム(捉え方のようなもの)が徐々に変化していき、それが彼の仕事に対する態度を変えてゆく。その変化をたどる彼の様子は、まるで別人になるかのようだった。でも、人にはそのような変化をたどるときがあるのだろうと感じた。これまでの経験則で、周囲に何人かそういう人を見てきた。
ここからが多少のネタバレになるが、主人公に重要な気付きを与えた人物の言葉で、「どこから始めたとしても、どうありたいかさえ見えていれば、そこにきっとたどり着ける」というニュアンスのものがあった。 その言葉を発した人物は大学院までそのための研究を行っていたようで、お酒作りのための、ウイスキーを造るために払った(有形無形の)コストは人一倍だろう。でも、自分の希望とは少し違った形でその世界に入ることになった。それでも、登るべき山そのものは同じだと信じている。それが深く印象に残った。
振り返ってみれば、自分がいる場所も、色々な意味において決して悪くないのだ。しかしながら、様々な事情により、いつの間にか熱意が冷めてしまっていた。「どうありたいか」という気概なしには、その先に進めない気がした。
この作品は全体的に物語の構造としても、奇を衒わないながらもはっとさせる力に満ちた構成だったと思う。まっすぐな筋書きで、しかし経過を完全に予想できはしないくらいの塩梅が個人的にとてもよいなと感じた。見終わった後、いつもより少しだけ上を見ることができるようになった気がした、そんな映画だった。